「使命をもって生きる人生と、使命を持たずに生きる人生はどちらがいいですか?」
と聞いたら、大抵の人が使命をもって生きる人生がいいと思います。
しかし、使命をもつという事は試練や困難を背負う事だと思います。
世の中を動かすような人は強い使命感と同時に、強い苦難を伴うのです。
私は昔は夢も、目標もありましたし、会社の使命を自分の使命と捉えて、必死に業界NO1と社会に貢献していく為に、残業残業の毎日を過ごしていたと思います。
そうしているなかで、ふと疑問が生じて、会社を辞めた際に、会社で背負っていた夢、目標、使命はなくなってしまいました。
夢と信じていたものは、会社が作り上げた幻想でした。
使命は会社から与えられた脆い作り物でした。
それは、青天の霹靂だったようにも思います。
自分には何もありませんでした。
その後、転々と色んな会社を渡り歩いていく後にも、その会社の使命を自分のことと捉えることはできず、冷静にみていたように思います。
また、自分自身の使命はうちにあるのかと考えた際には、そこには大きな空洞があることがわかりました。
人から与えられる使命は、本来の言葉とは程遠い力のないものなのです。
一方で家庭を持ち、家族と過ごすことの大切さや、会社を退職して誰もいなくなった中での友人の存在など大事なものがみえたり、それを感じれるようになってきたのだと思います。
先ほど、自分の生きているうえでの使命はなんなのかといったときに、空洞という表現を使いました。
しかし、一方で敢えて自分の使命は何か考えていないのかなとも感じます。
なぜなら、冒頭に申し上げたように使命には試練や困難が付きまとうからです。
それよりは今の幸せを大事にする方が大切だし、楽だと思います。
にもかかわらず、くすぶっているのは、私の中では、何か空洞を満たしたいというエゴみたいなものがあるからなのでしょう。
それが、ブログをずっと書き続けてこれた要因でもあるのかなと思っています。
そのように、ブログは自分の中の何かを満たすために書いてきたと思うのですが、それが使命まで昇華できているわけではないのです。
それに使命をもつことで生じる試練や困難を超えていく覚悟というものは、自分の中にはないと感じていたりします。
使命を持つとは、何かを背負う事です。
家族や友人との大切な時間を大切にしながらも、世の中に発信し、人を共感させて動かしていく事です。
それには必ず試練や困難を背負います。
それを超えていける、優しく、芯が強い人だけが使命を持てるのです。
誰でも使命は簡単にもてますが、誰もが挫折するともいえます。
使命を全うした人はとても美しい人だと思います。
色々な困難が昇華され、人々の心に響き、伝染し、人が動き始めます。
そして幸福をもたらします。
それは誰もができることではないからこそ美しいのです。
きっとそういう使命を為す人はもう人間の域を超えています。
色々なエゴを超えた先をみています。
一生のうちでそういう人に会う事は自分の人生ではないのかもしれませんが、そういう人をニュースなどで知ることはできます。
人には使命をもち、何かを背負うと素晴らしい力と美しい輝きが宿るものだなとつくづく思います。
では、私は何の使命をもって生きるのか、残りの人生の中で考え、実行していきたいと思います。
その過程でこのブログがその使命を実現していくための基地みたいになるといいなと思っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。