苦しみを乗り越えた私は最高。
徹夜で、頑張った私は最高。
お客様のクレームに耐えた私は最高。
上司の理不尽な要求をこなした私は最高。
丸投げの仕事をこなした私は天才。
一週間乗りきった私は最高。
厄介な後輩の面倒をみた私は偉い。
だけど頑張ってない私も最高。
自己の肯定への対価
自分を肯定する為(俺って最高!と感じる)には、苦しみを乗り越えた経験や、何かを頑張ってやり遂げないといけないと思っている人は多いと思います。
つまり、自分を最高にするには、何か対価が必要という考えです。
特に、「頑張る」という対価が必要と考える人が世間には多いでしょう。
この考えは、子供の頃に植え付けられた、「頑張ってお勉強したら、おやつをあげよう」的な考えです。
「頑張るとご褒美が与えられる」という理論です。
世の中の実に多くの人がその信者です。
例えば、オリンピックで、金メダルをある選手が取ると、必ずテレビでは、過去の経歴の特集が組まれます。
そこでは、
怪我や、つらい別れを乗り越えた。
辛い練習に耐えた。
成績が伸びない辛い時期に止めなかった。
など、頑張って苦労を乗り越えたから、成功したという流れで編成されます。
楽して成功したなどは、決して報道されることはありません。
苦難を乗り越え、人一倍頑張った結果としての成功が求められるのです。
ですが、実際には、世の中には、有り余る才能や強運によって成功した人も実際にはいるのです。
努力は成功の種の一つですが、成功保証できる絶対要因ではないのです。
大抵の人は子供の教育によって、頑張って苦難を乗り越え努力すれば、必ず成功すると植え付けられています。
だから、常に自分が、辛い目に合わないと、追い込まれないと、成功しないと思いこんでしまっています。
ですが、これだと、常に成功の為に、辛いこと苦難を自ら探すことになり、悪い部分ばかりみて、なかなか自分を肯定する機会に恵まれる事はありません。
そして、その間に、失敗したり、他人の言葉に揺り動かされて、どんどん自信を失うことになります。
真面目な人
日本人は特に自己肯定感が低い人がとても多いようです。
昔からの道徳観や、学校教育で、相手を尊重し、自分を低くすることを礼儀として、教え込まれていきますし、反省という名の自己否定ができる真面目さが美徳とされます。
それは、よい面はあります。
道徳観や教育の結果として、日本人は優しく真面目な人が多く生まれ、おもてなし文化など、世界に類をみない素敵なやさしい社会を構築しています。
そして、災害時などに強力な団結力と、助け合いに変わります。
震災や災害の時に、その面が強く現れます。
これは、日本人の誇るべき文化です。
一方で、自己の肯定感を低くすることの悪いい面は、自殺大国という結果となって表れていると思います。
真面目に自分をみて、冷静に周りの評価を、自分のこととして、受け入れる事で、自分を否定し続けます。
そして、日に日に自己否定は強まり、
常に他人の評価にビクビクする毎日となります。
そのうち、冷静な思考もできなくなり、
そして、生きることに疑問さえ感じはじめるのです。
自分を否定する真面目さが時に悪となるのです。
そうなる前に真面目な自分を変える必要があります。
想像は自由
真面目な自分を変えるといっても、小さいころから、教育されてきた、長年の性格はなかなか変わるものではありません。そういう見方、考え方が染み付いているからです。
お風呂にこびりついた垢のようになかなか落ちません。
でも、考えて下さい。
想像は自由です。
頭の中には、他人はいませんし、法律もありません。
すべてがその人の自由な世界です。
自分を真面目に否定する必要なんかそもそもないのです。
だから、想像の中でとことんふざけて良いのです。
だって縛るものなどないのですから。
なんで何時も真面目じゃなきゃいけないのでしょうか?
想像を膨らませて楽しみましょう。
頑張らなくても私は最高
真面目に頑張らなくても、自分は最高なのです。
最高に面白いし、最高に頭がいい。アイディアもすばらしい。
自分の心の中で思っていてもいいじゃないですか。
条件付きの自分なんて捨てて、そのままで最高の自分でいましょう。
自分への縛りを解放しましょう。
世界は最高、自分も最高。